大学卒業後、就職せずに起業の道へ
はじめまして。キアラです。
こちらのページでは私の自己紹介をさせて頂きます。
私は2005年に起業して、今年2020年で16年目に入りました。
中高6年間は女子高に通い、関西の私立大学法学部に入学、大学卒業後就職せずに起業の道を選びました。
大学時代からの友人2名と起業し、15年経った今でも創業時のメンバーは変わらず3人で会社を運営しています。現在は「医師専門の人材紹介業」「アパレル業」「貿易業」の3事業を経営しています。
起業したのは就職氷河期世代だったから・・・というのは表向きの理由で、当時はちょうど第一勧業銀行がみずほグループの傘下に入った年でした。銀行に就職する同級生も多く、ゼミの教授からも銀行への就職を薦められたのですが、どうやっても銀行で働いている自分が想像できませんでした。
怠け者の私は就職できそうもないことに気付いてしまいました。
そんな時、ふらりと立ち寄った本屋で魅かれた一冊の本。
確か『あなたにもできる起業』のようなタイトルの本でした。
単純な私は、『あなたにもできる』=『私にもできる!』と勝手な脳内変換をして起業を決意。
世間知らずで単純な私は起業して自分がトップの組織を作れば怠け者の私でも大丈夫!と今思えば不純極まりない動機で起業してしまいました。
最初に始めたのは医師専門の職業紹介業
最初に始めたのは、医師専門の職業紹介業です。
今でこそ専門職に特化した人材紹介サービスも随分と広まってきましたが、15年前は医師の新研修医制度が始まった頃。テレビドラマ白い巨塔に出てくるようなガチガチの大学医局制度が崩れ始めた時期でもあり、大学病院の大先生が部下の配属先を一手に決める、ということが少なくなってきたのです。
転職を希望される医師の先生にとっては旧来のしがらみに縛られない反面、地元や出身大学以外の土地への転職に戸惑いも大きかったと思います。都市部と地方の医師偏在も問題になっていて、少しでも医療格差を埋めたいという気持ちと、都市部にいながら地方での勤務を希望されている医師の希望を叶えるという目的でこの医師専門の職業紹介業を開始しました。
私がこだわったのは成約率を100%に近付けること。
少人数での運営だからこそできるメリットを活かし、ご転職された医師の先生と医療機関が長く良い関係を築けるように細部にわたって工夫を凝らしました。一人の医師の先生に転職先をご紹介する場合、特に常勤の場合は半年~1年の長期スパンになります。
医療機関ごとにできる限り詳細な転職先のご提案やご紹介はもちろん、条件面の交渉や医師一人一人によって違う希望の交渉にアフターフォロー。自分なりに医療機関と医師の先生との利害を調整し、双方にご納得いただけるまで粘り強く調整を行いました。
このようにきめ細やかなサービスを心がけてきた成果か、ご転職された常勤医師の中で3年以内に離職された先生は0です。
ここが回転率重視で大量に求人をかけてスピード転職をあっせんする大手と差別化が出来ているポイントかなと思います。
徐々に医師という狭い世界の中で口コミやご紹介が増えていきました。
深刻な医師不足のカンボジアへ
最近では、日本国内だけでなく医師不足が深刻なカンボジアへ日本の医師を紹介する活動も行っています。
カンボジアでは、1970年代のポルポト政権時代に医師などを始めとする知識人層が政治犯という名のもと大量虐殺されました。
この政権の下では、児童が医師として患者にオレンジジュースを点滴する、というようなことも行われていたのです。これがまだ40年前の出来事なので、現在でも医学教育のレベルは低く、共通の医師国家試験制度が導入されたのもつい8年程前に過ぎません。
極端に医師が不足しているので、カンボジアでは外国人医師の受け入れも積極的です。
所定の手続きを踏めば日本の医師免許がカンボジア国内でも有効になり医療行為が行えるとても例外的な国なのです。
知識人層の大量虐殺という暗い歴史を持つカンボジアですが、その結果現在では国民の平均年齢がとても若く人口ボーナスの恩恵を受けるので、近年では急速に経済成長が進んでいます。
日本製パンプスのアンドワイ設立
次に2008年に始めたのは、女性用のパンプス企画・インターネット販売をメイン事業とする「アンドワイ」。
海外旅行先で素敵な靴を見つけて、「日本で売れないかな」と思ったのがきっかけです。単純ですね。
軌道に乗って来た人材紹介事業が利益率も高く、別のビジネスへ資金を循環していきたいという思いもありました。
当初は韓国工場で商品を製造していたのですが、2011年に工場を国内製造・神戸へ変更しました。
東日本大震災が起きたこの年は多くのアパレル企業が海外製造へ切り替えた年で、周りのアパレル会社の方々も海外の工場へ移ってしまいました。私は「みんな海外に行ってしまったので品質の良いジャパンメイドにしよう!」となぜか強く思い、海外生産から日本の工場での生産へ切り替えました。
当時は周りから「日本はもう終わり、早く海外の工場を探した方が良いよ」と散々言われましたが、ここは逆張りした方が良いな!と直感で思いました。結果的に品質の良い日本製が支持されたので、この時の選択は後に考えればすごく良かったです。
株式投資での逆張りはいつも負けていますが、ビジネスでの逆張りは勝率が良いのが不思議すぎます。。。
当時は見た目を少し犠牲にした履き心地の良いコンフォートパンプスが流行していましたが、日本製のパンプスの高い品質だけでなく、履き心地を犠牲にすることなく見た目も美しいラインにこだわりました。
何度も何度も日本のパンプス工場と交渉を重ね、時にはパンプス工場の仕入れ先である材料屋さんにも足を運び、自分でも“しつこすぎかな”と思うぐらい材料の一つ一つ、製造工程・製造方法にこだわり、今のアンドワイのパンプスが完成しました(当時の私のしつこさに付き合って下さったパンプス工場様や材料屋さんには感謝しかありません)。
周りからは、「どこかで妥協しなきゃ」とか「見た目も履き心地も両方追及するなんて不可能」なんていわれましたが、パンプスを履くのはキレイに見られたいからなのに、ぼてっとしたコンフォートパンプスはどうしてもイヤだったのです。
これはハイヒール&ピンヒール全盛期だった2000年前後に大学生活を送っていた影響かもしれません。
そして、日本人女性の足の曲線に合わせて木型からおこした丁寧な作りで、履き心地にも見た目にもこだわった神戸生まれの日本製パンプスが完成し、これが大ヒットしました。
オリジナル日本製パンプスが大ヒット
パンプスは月80足売れたらヒット商品と言われる中で、楽天市場で発売開始3時間で製作分1,000足完売、次は2,000足完売と続き、在庫が足りずすぐに売り切れとなりました。
販売ランキングも楽天全商品の中で総合3位・2位・・・と順調に上位を獲得。
密かに「次は1位を!」と思っていた時期もあったのですが、リアルタイムランキングでは1位を頂いても、デイリーの方ではどうしても大人気アーティストのベストやお昼の情報番組で爆発的に売れた食品には勝てませんでした。。。
創業以来、私を含めて従業員は3名。
非効率なのかもしれませんが、商品ページやサイト製作、梱包やお客様対応も含め、どうしても他人に任せる気にはなれず今でもパンプスの発売時期は3人で夜な夜な検品から発送作業まで全てを自社で担っています。自分でも極度の凝り性なんだと思います。
ありがたいことに発売当初から長年ご愛用下さっている方も多く、女性ファッション誌にも複数取り上げて頂き、働く女性に支持を頂くパンプスになることができました。1年に4回、シーズン毎に新商品を出すのが当たり前のアパレル業界において、同じパンプスを10年も売り続けるなんて異例中の異例だと思います。
貿易事業で中国国営テレビに取り上げて頂きました
そして3つ目の事業は貿易事業。
2015年に中国で越境ECサービスが始まった頃にビジネスパートナーから誘われたのがきっかけです。
今では子供向けのオリジナルブランドを立ち上げ、中国向けにお醤油やカレーなどをシリーズ化して販売しています。
2019年の上海の展示会では、CCTVという中国国営テレビに取り上げられるほどになりました。
そして新しく女性向けのブランドを立ち上げ、今年2020年は日本の伝統である木桶製法で数年かけてじっくり丁寧に作られたお酢の販売を開始する予定です。この他にも日本の良いものを世界に広めたいなと思っております。
介護施設を経営再建し株価100倍で売却
現在経営しているのは3事業ですが、2017~2019年にかけては自社の会社経営だけでなく介護施設の経営再建とM&Aを行いました。
創業1年で3,000万円以上の大赤字と3億円以上の債務超過を抱えていた老人ホームの経営再建を依頼され、1年で黒字化し2年後には株価100倍でマザーズ上場企業に全株式を売却することができました。他の3事業も経営しながらだったので、お休みなしのめまぐるしい日々でしたが、10年ちょっとの経営経験をぎゅっと凝縮して放出したあっという間の2年間でした。
(M&Aをお任せしたストライクの季刊誌に取り上げて頂きました。)
ビジネスにおける私の2つのポリシー
創業当初から考えると事業は3つに増え、他にもこの15年の間に色んなことをさせて頂きましたが、ずっと変わっていないことが2つあります。
1つは起業した時から同じメンバーでずっと3人で業務に当たっていることです。従業員を増やさないことを疑問に思われるかもしれませんが、私にとっては創業当初から一貫してブレていないことの一つです。元々起業をしたのは会社を大きくしたかったからではなく、お互いを知り尽くしたメンバーであれば機動力が高く、少人数で最大のリターンを得ることができると考えていたからです。もちろん人数を増やせばできることが増える部分もあるのでしょうが、スピーチや自己PRも上手くない私はカリスマ経営者やインフルエンサーからはほど遠いと自覚しています。
2つめは、全てのビジネスで完全成功報酬制を採用しています。コンサルタントやアドバイザーという名のもと、月々の報酬を頂くというシステムもありますが、私はその形で報酬はいただかないと決めています。私の仕事内容を評価頂くのは、結果しかないと強く思っていますので、老人ホームの経営再建も再建中は交通費なども含め一切報酬は頂かず、M&Aで売却した際にその売却益から報酬を頂きました。これは私の中で理に適っていて、クライアントが利益を得てこそ報酬をいただけるのですし、完全成功報酬制は自分に最大限の負荷をかけ、真剣に取り組むモチベーションになります。
気付けば創業メンバーとは20年の付き合いになりますが、老人ホームの経営再建についても(私が思う)最短の期間で最大の利益を上げられたのは、経営再建という目標のもと、目的や方向性を理解した上で、3人それぞれが各分野で経営の改革を行えたからだと思います。
よく「全く関係ない分野で起業するなんて。」と言われます。私は一つのことにのめり込むと熱中して、年単位、月単位、週単位と目標を決めてそれを克服していく過程が大好きです。ただ、自分が計画していた結果が出ると、また次の新しいことにチャレンジせずにはいられない性格なのです。語弊を恐れずに言うなら、うまくいっていない時や逆境の時ほどやる気がみなぎるという性分なのかもしれません。
時代の流れに乗りつつ、その時の「当然」や「常識」に縛られ過ぎずに自分の考えや直感にも素直に従って突き進んで、「人生は流れる水のように」というポリシーで遊ぶことと食べることが大好きです。特に海外旅行先で新しいビジネスのアイデアが生まれることも多々あります。それに全く関係がない分野に見えてシナジーが生まれることもあります。人材紹介業でカンボジアへ日本人医師を紹介する活動は、貿易業を通してできた東南アジアのルートを起点にしています。
最後に・・・
元々、15年前の起業当初からインターネットを通したビジネスが主体で、ネットをきっかけにして素晴らしい繋がりを頂きました。リアルだと繋がるきっかけがなかったような方々と繋がりを頂けるネットは本当に大事な宝物。これからもネットを通じて沢山の素晴らしい出会いがあるのだと思うとワクワクします。
これからも素晴らしい出会いに恵まれることを期待して・・・
どうぞよろしくお願い致します。